この記事では地方大卒、元コミュ障SEの筆者が、いかにして年収1000万円を達成したのか、その道のりをつらつら書いていこうと思います。(画像はイメージです。こんなにキラキラした生活ではなかったです)

筆者のスペック
そもそも筆者って何者?ということで、わたしのスペックについて簡単に説明します。
学歴
私は大学卒業までど田舎で過ごしました。地元の進学校を落ちこぼれで卒業後、偏差値50未満の地方大学へ入学。文系学部だったので正直勉強しなくても大丈夫‥という環境で勉学に身が入らない大学生だったため、必要単位ギリギリで卒業しました。ちなみに学費捻出のためにバイト三昧だったため、大学にほとんど友達はいません。
就職
地方公務員、国家公務員志望だったので、色々受けたものの全落ち‥(泣)並行して地元の民間企業への就職活動も片手間に進めていたので、幸いそこで滑り込みを果たしましたが、選ぶ余裕は全くなかったです。10社受けて2社内定、1社目は元々バイトをしていた会社、2社目は某大手SIerの地方子会社(実は採用はいったん終わっていたものの、補欠採用だったことがのちに判明)。そんなラッキーもあり、2社目を選択しました。
キャリア変遷
ここでは今までのキャリア変遷です。
1社目:地方SE子会社
当時従業員100人程度の小さな会社。新卒社員は全員漏れずSE(システムエンジニア)として配属されます。私は入社後の研修でパソコンを数時間作業するだけで頭が痛くなるという人間だったので、施術的な研修はただただ苦痛(泣) 結局開発は難しいよね、ということで最終的な配属はお客さんとの折衝が中心の、パッケージシステムに対するフィールドエンジニア的な役割となりました。
しかし!実はコミュ障でもある筆者はここでも苦しむことに。ただ、システムのパラメーター、設定については誰よりも覚えるのが早かった(それしかできなかった)ので、それだけが救いでした。
そんな中、配属から数ヶ月たったタイミングで親会社SIerのプロジェクトにSESソルジャーとしてアサイン(頭数合わせ)のため上京することに。今思えばこれが転機だったかもしれませんしれません。
上京、そして過酷な労働環境
上京してアサインされたのは、いわゆる客先常駐のお仕事。ただ、炎上プロジェクトだったこともあり朝8時には現地入り→終電帰りという状況が3〜4ヶ月続きました。(たまに終電逃すので、プロジェクトルームに寝泊まりや、プロジェクト先に近い知人の家に泊まらせてもらうなど)
人間、そういった状況が続くと、牛丼屋で食べている時になぜか涙が出てくるんですね。当時は気づかなかったのですがあればメンタル不調というものだったかもしれません。
ただ、そんな時期も終わりは来るもので、プロジェクト終了後は監獄(プロジェクトルーム)からの解放、そしてすぐさま別のプロジェクトへ派遣されました。なお、次のプロジェクトはとてもホワイトだったので幸い回復することができた次第です(とはいえいつも終業は21時頃でしたが)
もし自身が派遣されたプロジェクトが、みずほ銀行のサグラダ・ファミリアだったら確実に病んでいたな…と、ニュースを見るたびに感じています。(もう完成したんでしたっけ?)
先輩と上司の姿を見て悟る
そんな感じでプロジェクト派遣→終了→派遣…と続いていきますが、パッケージシステムの仕様やパラメータに詳しくなるばかりで、ビジネススキルが身についていないな…と感じ始めた新卒3年目。
ふと、周りを見渡すと、先輩や課長も同じようなプロジェクトをプロジェクトマネージャーやプロジェクトリーダーといった立場の違いはあるものの、同じことの繰り返しという感覚を持っているよう。筆者も10年、20年後こうなっているのか…と考えた瞬間、急に未来に希望が持てなくなったことを覚えています。
そんな訳で、当時電車に広告が出ていた黄色の転職エージェントに登録してみて、話を聞いてみようと思ったのが始まりです。ここから、転職童貞から転職ビッチへと汚れていくことに。(転職活動の詳細は、また別の機会に)
年収データ
職種:SE(システムエンジニア)
この時点(新卒3年目)の年収:450万円
残業:月平均60時間程度
2社目:ITコンサル
当時従業員数5,000人くらいだったと記憶している、一応グローバルネットワークがあるよというコンサルファームに転職。
なぜ筆者が入れたのか?と疑問が湧くところですが、実は私の少し前に名実共に大手のSIerで活躍していた、私と同年代の転職者がおり活躍していたことから、「こいつも似たようなシステム担当していたSEだからいけんじゃない?」的な感じで頭数合わせで採用されたとのこと。(このITコンサルを辞めた後、当時私を採用したマネージャーから飲みの場で聞いた話)
なので、ここも滑り込み、という表現がふさわしい入社の仕方だったなと思います。そして、実力不相応なのはここも変わらず(泣)。いわゆるMARCH以上卒業で大手SIerで活躍、その後コンサルでもメキメキと実力を発揮する入社同期の横で、議事録すらまともに取れないというポンコツぶりを発揮する私。この対比もあってか、入社後半年くらいは肩身の狭い思いしかなかったです。
なお、そんな状況でありながら頭数が足りない状況もあり、早期から某省庁のプロジェクトルームに1人で常駐するという状況に。全く知らない分野のシステムの導入PMOという立場で、もうやばい、何とかしないといけない…ということで日々ストレッチし続けている感覚でした。
駆け出しコンサルは辛いよ
この頃は9:00-17:00は常駐している霞ヶ関あたりのプロジェクトルームで顧客との議論や資料作成、後は会議、会議、会議。その後は丸の内あたりのオフィスに戻ってマネージャーやシニアマネージャーからの激詰めを受けながら終電までリサーチやプレゼン資料作成、明日の会議に向けた準備をするという状況が続きました。(ちなみに、上司の口癖は「量は質を兼ねる」「お前のバリューは何だ」となり、今でも私の行動や考え方に影響を与えていると思います。)
ただ、1社目でも過酷な労働環境は経験していたため、成果や結果は出ているかはさておき、「耐え抜く」ことはできました。こんな形で、1年〜数ヶ月のシステム関連プロジェクトを複数経験した次第です。
ポンコツなりの戦い方
上司から激詰めをされ同期が活躍している中、ポンコツなりに自身がバリューを出さなくてはと考え続けた結果、「特定領域の知見」に誰よりも特化することで、プロジェクトチームに多少は貢献できるようになったかと思います。他プロジェクトからも、その特定領域や関連するテーマについて相談をもらえるようになる等、ポジションを形成することができたのかもしれません。
コンサルで得たもの
正直マネージャー以上を見ていると、自身がコンサルタントとしての作法が身についたとは到底思えないものの、それでも1社目に在籍していた頃に比べてポータブルスキルが身についたと思います。(スライド作りや文書作成等のOAスキル、事象を整理・構造化するスキル、データを分析するスキル等)
ただ、一番身についたのはどこでも生きていけそうなソルジャーマインドかも(爆)
年収データ
職種:コンサル
この時点(新卒5年目)の年収:580万円 ※2024年の最近は同じ内容職位でも上がってそう
残業:月平均70時間程度
長くなったので、後編としてまた続きを書きたいと思います。
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